無力の独り言

なんとなく思い出し、戦争に負けて居なければと、祖父!は当時の拡張政策で、田舎の家、田畑!と売り払い拡張地!に行き、旅館業で、それなりの成功し、母も娘として、高等教育を受けていた!父は、一旗挙げようと若い身で、拡張地!来たようだ!母とはどのような経緯かは知らないか、小生が生まれ、その地を追われるときは、自動車の修理工場を持っていた!昭和20年6月頃に。アメリカ軍の空襲で隣の都市が爆撃!されて、居留者の代表の、指示で身の回りの物を持ち、日本に向かって逃避を始めた!ソ連兵!に、38度線!を越えるまで、苦しめられた!日本でわ、根なし草!先祖の墓!のみの里!には行けず、まあ!日本は、朝鮮戦争のお陰で復興が早く!昭和30年頃には、生活も戦前を上回る!状態であったかも!盛り場はネオン!がまぶしく、働けばお金が沢山もらえる時代であった!今日はこのへんで、