無力な独り言

6月!今から78年前!か、半島の清津(セイシン)府から10キロか、20キロ離れた町で居たが、午後8時前後だと思うが、避難の町の世話役さんからの連絡で、食事中であったが、取りあえず、近くの山に避難した。清津の空が赤く染まっていた、アメリカ軍の空襲だと知らされた!もう日本に帰国しかないと、世話役さん達が判断したのか、身の回りの物を取りに帰り、後はほったらかしで、集合場所に集まり、とりあえず、感興(カンコウ)に向かって、200人以上の団体で歩きだしたな!敗戦!は山の中で、ソ連機!を見て、大人達が、負けたかな!の話していた!山を降りたら、ハッキリした!現地の人間が、保安隊の腕章を腕ちにつけいた、われわれは皆並ばされ、金品!の物を全て取り上げられた!着物着てる婦人は、襟に札!を縫いこんでいたのは、きずかれず安全でした。初めての敗戦!の惨めさを味わった瞬間!でしたな!それからは、敗戦民としての、移動で、苦労したな!感興で8ヶ月、当時の日本人宅に分散して、帰国船の順番まちをしたな!ソ連軍の将校の家な風呂の薪割りに行って、クロパン、を貰って食べたな!ひまわりと松の実をソ連兵はよく食べていたな、もらって食べたがおいしかった!